5月3日 いよいよ最終日
朝は6時に起きる予定だったが車中泊ということもあり5時半には目が覚めた。
今日も天気がよく四国4日間全て晴天!
御大師さまありがとうございます。m(__)m
向かいにあるコンビニで食料を調達してから40番観自在寺へ向かう。
もちろん納経所はまだ開いてないが寺の境内を散歩しながらお参りを済ます。
7時前だがもう何人かのお遍路さんは来ており開くのを待っていた。
状況を察してか10分ほど前に開けて頂き納経をしていただいた。
出発は7時ちょうど。
幸先のいいスタートである。
このあと高知県内に戻り順調に39番延光寺を打ちいよいよ足摺岬先端にある
38番金剛福寺に向かう。
ここへ行く道も空いていて信号も少なく景色もよいので気持ちよく走れる。
ただし戻ってくるとき大岐海岸付近でスピードをやってたので注意されたし。
(行くときやってなくってよかった(^_^.))
足摺スカイラインを下り切ったとこで時間的には39番から1時間20分
到着時間は9時10分 順調だね。
だが途中で先端部分道路規制ありの看板が出ていた。
(うーん、なんか嫌な予感( 一一))
後もう少しというところまで来ると警察が道をふさいでるではないか!
聞けばこの先、道が狭く駐車場も一杯で混雑するので車をここに置き
バスに乗り換えて行ってくれとのこと。
これは予定外に時間食うぞと思ったがバスは5分おき、到着まで2分ぐらいという。
それならたいしたタイムロスにはならない。
片道100円のシャトルバス 出発!!
今回の巡礼で一番混んでいた境内(それでも納経所で5分も待たなかったが^_^;)
落ち着いてお寺を回ってから駐車場へ戻る。
帰りはみんな歩いていたが僕は時間を稼ぐために再びバスへ。
(帰りは僕一人で貸切でした^_^;)
この後37番岩本寺を目指すのだが須藤元気さんの幸福論にも書いてあった
唐人駄場にどうしても行ってみたかった。
足摺スカイラインの途中で左に曲がり下っていく。
路肩に車を止め森の中に入っていくと巨石群を発見!
比較対照がないので分かりにくいが半端なくデカい
千畳敷岩より太平洋を望む
一体誰が何の目的で運んだんですかねー
ホント不思議です。
今流行のパワースポットのはずなんですが人っ子一人いませんでした。
ホントお勧めです。
37番へ向かう道中(天気もよくって気持ちよい(*^_^*))
この後2時間かけて37番岩本寺を打つ。到着は11時40分。
36番青龍寺を目指そうかと思ったが
ここは時間短縮のため高速で移動できる35番清瀧寺を先に打つことにする。
須崎から高知自動車道に乗り1時間ちょいで35番へ。12時50分着。
ここは今まで行った中では一番道が狭いんじゃなかろうか。
カーブで切り返さないと上れなかった坂はここが初めてだ。
だけどこの時期だけなのか分からないが下で警備の人が誘導してくれていて
上りと下りの道を分けてくれていた。
要するに一方通行にしてくれていたのである。
これはほんとに助かった。ありがとう。
半端なく狭い道が5分ほど続く(これが対面通行だったらと思うとゾッとする)
薬師如来像の内部で戒壇めぐりができる(時間が気になって巡るの忘れた)
この後36番青龍寺に行く。
余談だが元横綱の朝青龍の母校明徳義塾はこの近くにあり
ここ青龍寺から四股名をとったそうな。
この急坂でもトレーニングしてたんだろうか。
この後34番種間寺へ
到着は14時ちょっと前。もう高知県内も近いこともあり時間も読めるように
なってきたので駐車場横のアイスクリン屋で一息つく。
やっと市内に入り33番雪蹊寺へ。
ここ雪蹊寺には長宗我部盛親の墓がある。
こちらも手を合わせる。
この後32番禅師峰寺に行く途中で今度は長宗我部元親の墓を偶然発見!
時間はないが有名な戦国武将なのでこちらも手を合わせていく。
なんか申し訳ない気がして写真は撮れなかったが四国を平定した武将にしては
お墓が小さく寂しく感じた。
そもそも戦国時代、元親は四国を平定したものの豊臣秀吉の軍門にくだり
土佐一国の大名となる。
その後を継いだ盛親が関が原の戦いで西軍側につき敗北。
領地を没収され、さらに大阪の陣で再び西軍側につき斬首されてしまった。
そして家康の命令により、遠州の大名だった山内家が土佐に入るのだが
山内家の家臣団を上士、元長宗我部氏の家臣団を下士という身分制度が
できてしまった。
こういう歴史背景を知ってから行くと旅はさらに楽しめる。
このあと有名な桂浜に寄って行く予定だったがあまりの人で入場できず
かなり離れた港に車を止めてシャトルバスで移動とのこと。
さすがにそれだけの時間はないので今回は断念。
いつかブームが去って静かになったら来てみたい。
そして本日の最終地点禅師峰寺に15時に無事到着。
ここは山道に入る前の道が狭いので注意。
山門脇に奇岩前に立つ不動明王
この旅最後の山門
遠くに見える寄れなかった桂浜
納経
無事打ち終わって15時半
ほぼ予定通りである。
境内のベンチに座り今日の行程を思い出しながら旅の余韻に浸る。
この後南国ICに向かう途中で武市半平太のお墓に寄って行くことにした。
ここも非常にのどかなところで150年前もあんまり変わってないんだろうなー
って感じのとこです。
「攘夷の流れは止められんぜよ!!」
龍馬伝のセリフが蘇ってきますね。
明治維新後、山内容堂が武市半平太を死なせたことを幾度も悔いたなんて
話を思い出し、心からお墓に手を合わせた。
この奥に瑞山神社、右奥にお墓がある
民家の奥の生家
高知自動車道、南国インターから2時間ちょっとで徳島に到着。
食事してから車を返しに行く。
高速バスは夜の12時過ぎなので駅周辺で時間をつぶしていたんだが
駅自体は12時前に閉めてしまう。
(早いなー)
集合場所に行ってみるとすでに何人かの人が待っていた。
帰りは行きにはなかった受付をしてバスに乗り込む。
途中少し渋滞してたこともあり予定より1時間半遅れの11時に無事到着。
出掛けるときは具合が悪かったけどすっかり元気になって帰ってこれた。
これもお大師様のおかげですかねー。
いやー疲れたけど濃いーGWになりました。
朝は6時に起きる予定だったが車中泊ということもあり5時半には目が覚めた。
今日も天気がよく四国4日間全て晴天!
御大師さまありがとうございます。m(__)m
向かいにあるコンビニで食料を調達してから40番観自在寺へ向かう。
もちろん納経所はまだ開いてないが寺の境内を散歩しながらお参りを済ます。
7時前だがもう何人かのお遍路さんは来ており開くのを待っていた。
状況を察してか10分ほど前に開けて頂き納経をしていただいた。
出発は7時ちょうど。
幸先のいいスタートである。
このあと高知県内に戻り順調に39番延光寺を打ちいよいよ足摺岬先端にある
38番金剛福寺に向かう。
ここへ行く道も空いていて信号も少なく景色もよいので気持ちよく走れる。
ただし戻ってくるとき大岐海岸付近でスピードをやってたので注意されたし。
(行くときやってなくってよかった(^_^.))
足摺スカイラインを下り切ったとこで時間的には39番から1時間20分
到着時間は9時10分 順調だね。
だが途中で先端部分道路規制ありの看板が出ていた。
(うーん、なんか嫌な予感( 一一))
後もう少しというところまで来ると警察が道をふさいでるではないか!
聞けばこの先、道が狭く駐車場も一杯で混雑するので車をここに置き
バスに乗り換えて行ってくれとのこと。
これは予定外に時間食うぞと思ったがバスは5分おき、到着まで2分ぐらいという。
それならたいしたタイムロスにはならない。
片道100円のシャトルバス 出発!!
今回の巡礼で一番混んでいた境内(それでも納経所で5分も待たなかったが^_^;)
落ち着いてお寺を回ってから駐車場へ戻る。
帰りはみんな歩いていたが僕は時間を稼ぐために再びバスへ。
(帰りは僕一人で貸切でした^_^;)
この後37番岩本寺を目指すのだが須藤元気さんの幸福論にも書いてあった
唐人駄場にどうしても行ってみたかった。
足摺スカイラインの途中で左に曲がり下っていく。
路肩に車を止め森の中に入っていくと巨石群を発見!
比較対照がないので分かりにくいが半端なくデカい
千畳敷岩より太平洋を望む
一体誰が何の目的で運んだんですかねー
ホント不思議です。
今流行のパワースポットのはずなんですが人っ子一人いませんでした。
ホントお勧めです。
37番へ向かう道中(天気もよくって気持ちよい(*^_^*))
この後2時間かけて37番岩本寺を打つ。到着は11時40分。
36番青龍寺を目指そうかと思ったが
ここは時間短縮のため高速で移動できる35番清瀧寺を先に打つことにする。
須崎から高知自動車道に乗り1時間ちょいで35番へ。12時50分着。
ここは今まで行った中では一番道が狭いんじゃなかろうか。
カーブで切り返さないと上れなかった坂はここが初めてだ。
だけどこの時期だけなのか分からないが下で警備の人が誘導してくれていて
上りと下りの道を分けてくれていた。
要するに一方通行にしてくれていたのである。
これはほんとに助かった。ありがとう。
半端なく狭い道が5分ほど続く(これが対面通行だったらと思うとゾッとする)
薬師如来像の内部で戒壇めぐりができる(時間が気になって巡るの忘れた)
この後36番青龍寺に行く。
余談だが元横綱の朝青龍の母校明徳義塾はこの近くにあり
ここ青龍寺から四股名をとったそうな。
この急坂でもトレーニングしてたんだろうか。
この後34番種間寺へ
到着は14時ちょっと前。もう高知県内も近いこともあり時間も読めるように
なってきたので駐車場横のアイスクリン屋で一息つく。
やっと市内に入り33番雪蹊寺へ。
ここ雪蹊寺には長宗我部盛親の墓がある。
こちらも手を合わせる。
この後32番禅師峰寺に行く途中で今度は長宗我部元親の墓を偶然発見!
時間はないが有名な戦国武将なのでこちらも手を合わせていく。
なんか申し訳ない気がして写真は撮れなかったが四国を平定した武将にしては
お墓が小さく寂しく感じた。
そもそも戦国時代、元親は四国を平定したものの豊臣秀吉の軍門にくだり
土佐一国の大名となる。
その後を継いだ盛親が関が原の戦いで西軍側につき敗北。
領地を没収され、さらに大阪の陣で再び西軍側につき斬首されてしまった。
そして家康の命令により、遠州の大名だった山内家が土佐に入るのだが
山内家の家臣団を上士、元長宗我部氏の家臣団を下士という身分制度が
できてしまった。
こういう歴史背景を知ってから行くと旅はさらに楽しめる。
このあと有名な桂浜に寄って行く予定だったがあまりの人で入場できず
かなり離れた港に車を止めてシャトルバスで移動とのこと。
さすがにそれだけの時間はないので今回は断念。
いつかブームが去って静かになったら来てみたい。
そして本日の最終地点禅師峰寺に15時に無事到着。
ここは山道に入る前の道が狭いので注意。
山門脇に奇岩前に立つ不動明王
この旅最後の山門
遠くに見える寄れなかった桂浜
納経
無事打ち終わって15時半
ほぼ予定通りである。
境内のベンチに座り今日の行程を思い出しながら旅の余韻に浸る。
この後南国ICに向かう途中で武市半平太のお墓に寄って行くことにした。
ここも非常にのどかなところで150年前もあんまり変わってないんだろうなー
って感じのとこです。
「攘夷の流れは止められんぜよ!!」
龍馬伝のセリフが蘇ってきますね。
明治維新後、山内容堂が武市半平太を死なせたことを幾度も悔いたなんて
話を思い出し、心からお墓に手を合わせた。
この奥に瑞山神社、右奥にお墓がある
民家の奥の生家
高知自動車道、南国インターから2時間ちょっとで徳島に到着。
食事してから車を返しに行く。
高速バスは夜の12時過ぎなので駅周辺で時間をつぶしていたんだが
駅自体は12時前に閉めてしまう。
(早いなー)
集合場所に行ってみるとすでに何人かの人が待っていた。
帰りは行きにはなかった受付をしてバスに乗り込む。
途中少し渋滞してたこともあり予定より1時間半遅れの11時に無事到着。
出掛けるときは具合が悪かったけどすっかり元気になって帰ってこれた。
これもお大師様のおかげですかねー。
いやー疲れたけど濃いーGWになりました。